子どもの頃の思い出②

小さいときは母より父が好きでした。


理由は甘やかしてくれるからってだけだったかもしれませんが。

父は母にも厳しかったので、母はきっと父が私ばかり甘やかすことをあまり嬉しく思ってなかったのではないかと思います。

何かあるとあんたはいいねって感じの目で見られていたので。

あと母にはよくこう言われていました。

「女は愛嬌男は度胸、あんたは本当に愛嬌がないね」

「ブスッとしてるとブスになるよ」

母的には良くなってほしくて言っていたのかもしれませんが、

私はこう言われるといつも傷ついていました。

今でもはっきり覚えてるので、きっとこれがトラウマというやつですね。

他にもこういったトラウマ、いくつかあります。

・言葉の足りない父の要求を受け取れなかった母に対してよく父が怒っていたので、母が怒られないように私が父の要求に気付くようにしていました。これは今でもわりと相手の行動を先読みする癖になっています。

・私が中学生くらいの時には夫婦喧嘩になりそうなとき、わざと面白がって大笑いしていると父も面白がって喧嘩回避できていたので、今でもまわりが険悪なムードになると笑ってしまう癖があります。これはたまに怪我するので直したい。

あとは

・夫婦喧嘩の最中に父の顔を見上げたら「なんでそんな目で見るんだ」と言われたので、それ以降、夫婦喧嘩中は微動だにせずずっと下を向いていました。

・夫婦喧嘩のあとで落ちこでいる母を元気づけようと笑顔で話しかけたら「お前は悲しくないのか」と理不尽に怒られました。

・夫婦喧嘩に対して意見を求められたとき、どうでもいいという態度をとったら「お前は親を親と思っていない」となぜか怒られました。どっちがよ。。。

・中学生の頃の夫婦喧嘩で離婚の話が出たとき、父も母も私のことを擦り付け合うような発言をいていました。学生はお金かかるもんね。



中学高校の進路相談も2人とも「わかんない」ばっかりでなーんにも相談できなかった。

塾の先生や学校の進路の先生に聞いて書類やらなんやら全部1人でやったな〜。

就職も自分で全部決めて、就職先教えなかった。聞かれなかったし。ちょっとは気にして!笑



まあでもそのおかげで?自分のことは自分でやろうって気持ちがとっても大きくなったんですけどね。



そんなの当たり前じゃんって思う人もいるかと思いますが、私にはつらかったんですよ。

まわりの友達はみんなご両親がしっかり相談に乗ってくれたり後押ししてくれたりしてたから。羨ましかったんです!



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