父の死①

つい最近父が亡くなりました。


父とは2年前に両親が離婚してからずっと音信不通でした。

あ、離婚した理由はまた今度お話しますね。

音信不通というのも、離婚した日に父は荷物も何も持たず身一つで出ていったので、携帯電話も置いたままで行き先も告げず、連絡の取りようがありませんでした。

父は父の実家とも絶縁していたので、私達家族も父方の親族と疎遠でした。

そんな感じで?2年過ごしていたわけですが、ある日突然隣の区役所から連絡が来ました。

区役所からの書類は生活保護関係のものだったので「あぁ、ついに生活保護にしたのだな」と思って読んでいたのですが、どうやら生活保護自体は2年前から受けているようでした。

意外と生活保護の連絡って来ないもんなんですかね?

私の認識では受けた瞬間に親族へ連絡が行くもんだと思っていました。

しかもおそらくその連絡は「ついで」のお知らせだったように思います。

なぜかというと、その書類たちと一緒にA5サイズより小さな紙切れが1枚入っていたのですが、それがある病院からの危篤のお知らせだったのです。

「お父様が危篤です。病院までご連絡を〜」って感じの簡単な文章でした。

危篤とは?どのレベルなの?手紙で連絡するってことは?え?

知らせを見たのが夜中だったので、翌日のお昼休みに病院へ電話しました。

いろいろ事情を話すと看護師長さん?が親切に対応してくださいました。

その方曰く、「昨日までは重篤だったけど今日は受け答えもできている、ただ本人は今後何かあったら延命は望んでいない。親族の方の意見も聞きたい。お兄様からも連絡があったが、こちらに任せるとの回答だった。娘さんはどうか?病状説明など、そのへんの意向も聞きたい。」という感じのものでした。

少し悩みました。

兄はまぁ仲悪かったしなあ、仕方ないか。母は?離婚してもう会いたくないと口では言っているが本心はわからない。しかも離婚してまだたったの2年。言うべき?また、私はどうしたい?どうするべき?

悩んだ末、「もし次に病状が悪化したら私にだけ電話をください。すぐに向かいます。今日連絡したことは本人に伝えないでください。」と、答えました。

本当は会いたかった。最後にちゃんと話をしたかった。もしかしたらお互いに「ごめん」と言えたかもしれない、打ち解けられたかもしれない。

でも、もし父から本心じゃなくても「何で来たんだ」「帰れ」なんて言われたらと思うと怖かったんです。これ以上嫌いになりたくないし、そんな言葉を言わせたくなかった。

超絶頑固で昭和な父です。強がってそう言う可能性、無くはない。だから行きませんでした。

薄情かもしれないけど、私はそう決めたんです。ただ、本当の最期は娘である私がしっかりやり遂げようと決めました。

母については、この前月に心筋梗塞で入院・手術をしており、心身共に疲弊している上に前述の思いもあり、黙っていることにしました。

いずれタイミングが合った時に伝えよう。それまでは知らずに過ごしたほうがいいこともあるだろう。自分勝手かもしれませんが、私なりに考えた末の結論でした。

電話を切って、仕事に戻りました。ひとまず現状を把握できたことに安堵しました。



そしてその翌朝、父は亡くなりました。



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